新型コロナウイルスで露わになった課題:医療政策

 新型コロナウイルスでも原発事故の時もそうなのだけど、ある種、社会的パニック症状が起きて、言い争いになる。人間関係が壊れるから沈黙する人もいる。でもそれでは何も変わらない。こういう時はパニックと消耗を避けるために一種の思考実験をするといいと思う。新型コロナウイルスの脅威がすでに静まって、社会は静寂を取り戻したと空想しよう。さて、そこでこんな苦しみが二度と起きないようにするためには何をしなければならないか、考えてみよう。今の問題となるとどうしても争いになる。だから今はもう解決したことにするのだ。そして未来の問題として考えてみよう。わたしたちは何をすべきか? “新型コロナウイルスで露わになった課題:医療政策” の続きを読む

新型コロナウイルスが照らし出す日本の公共政策の貧困と差別

 ウイルスには国籍も人種も性別も思想もない。等しくわたしたち一人一人を守れなければ、ウイルスは守られていない人びとを襲うだろう。そしてそこが新たな感染源となっていく。「一人も取り残さない」社会を作るというのは単に差別がない、倫理的に正しい社会というだけではなく、ウイルス感染の危険からも一番よく守られる社会でもある。 “新型コロナウイルスが照らし出す日本の公共政策の貧困と差別” の続きを読む

ブラジルへの原発輸出を許すな

この記事はノーニュークス・アジアフォーラムのニュースレターのために書いたもの。

ノーニュークス・アジアフォーラムとは

「ほとんどの先進国で、市民の力により原発 の建設ができなくなった今、 原発にたよる企業はアジアへ進出しようとしています。ノーニュークス・アジアフォーラムは、そうした動きをふせぎ、核も原発もない地球を私たちの手で作ろうと、アジア各国と連帯していくために作られました」 http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/

原子力村がその生存を原発輸出に求めようとする今、ノーニュークス・アジアフォーラムの活動にご注目いただきたい。転載を許可していただいたことに感謝する。 “ブラジルへの原発輸出を許すな” の続きを読む

怒らないのは日本の文化なのか?

 長く、苦しい気持ちにさせられてしまうことだが、原爆投下といい、原発事故といい、これだけのことが起きながらなぜ日本人は怒らないのか、それが日本の文化だからだという言われ方が日本の外では良識的な人びとの間ですらよくされる。
 今回の原発に限らない。『菊と刀』以来、日本は特殊な国、特殊な文化なのだ、という断定が世界中に蔓延っているし、日本人自身、そんな評価を自らの「誇り」にしている人さえいる。もちろん、独自性は常に重要だ。でも独自性と特殊性は異なる。前者は世界文化に独自の寄与をする根拠になるけど、後者は民衆連帯の妨げにしかならない。
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被災地復興に参加型予算の実現を!

震災地の復興を国がやる、県がやる、というが、しかし、そもそも災害対策をここまで怠ってきた行政にそれができるのか?

国による大規模予算は被災者を置き去りに利権、焼け太りの業者だけを生み出すのではないか?

その不信は今や日本全国に行き渡っている。

それではどうするのか?

被災者自身が予算を決定する参加型予算の大幅な実現だ。

参加型予算はブラジルで特定の政治家が自分の支持を引き替えに特定住民に利益を与えるという癒着をやぶり、コミュニティが必要なものをコミュニティが参加し、自身が決定することで、政治家による買収を不可能にして、必要な政策を実現させる上で大きな役割を果たしてきた。

被災地の人びとのニーズとかけ離れた施設の建設や利権のために金を流すようなことを防ぐためにこれ以上ふさわしいものはないだろう。

被災者に力を。それを政策的に実現する。そのためにも参加型予算の思い切った実現を求めたい。