健全な食をすべての人へ、がなぜ必要か?

 食の話をしていると確実に出会う反発が、「食の安全を気にできる人は金のある人」というもの。飢餓状態にある人はまずその飢餓状態から抜け出すことが第一であって、その質は二の次の問題だ、と。要するに金の余裕のある一部の人たちが気にしているだけの問題にされ、取り組むべき問題ではないとされてしまうことすらある。
 ブラジルのケースを紹介したい。ブラジルでは市民運動の中で飢餓問題が提起され、1993年に反飢餓キャンペーンが開始された。飢餓と民主主義は共存しえないから飢餓を無くそうという提案で、まず飢餓状態をなくすことが関心の中心となった。その運動を受けて、労働者党が2003年に政権につくと、飢餓ゼロを政策の柱として、反貧困政策を進め、飢餓人口は激減、国連FAOはブラジル政府の取り組みを激賞した。しかし、問題は終わらなかった。
 1996年の遺伝子組み換え開始以降、ブラジルは遺伝子組み換え大豆の栽培を禁止したが、密輸で持ち込まれ非合法下に耕作が進められ、2005年、既成事実をもって無理矢理合法となり、本格的に遺伝子組み換え作物の栽培が始まり、米国を凌駕するほどの遺伝子組み換え栽培大国に。2008年、ブラジルは農薬使用量世界一となる。グローバリゼーションは地域の食流通をぶち壊し、大企業が作る加工食品が市場に溢れ、人びとの腹を満たしていく。
 より深刻な問題として浮上してきたのが糖尿病などの慢性疾患の急増だった。特に貧困層における糖尿病の急増は大問題となっていく。遺伝子組み換え食品が増えるにつれ糖尿病も増加している。医療による解決は困難。貧困層における食の質、栄養の質が問われることになる。
 その状況の中、ブラジル政府の食料栄養保障協議会(Consea)が重要な活動を行っていく。これは政府機関ではあるのだが、そのトップは非政府組織の代表が就いており、市民社会と政府の協議機会として位置づけられている。Conseaは先住民族やファベラ(貧困コミュニティ)のコミュニティを含む市民社会との協議をもとに、画期的な栄養ガイドラインを作り出した。真の栄養、適切な栄養への権利がすべての人が享受すべき、という課題をブラジル社会に、そして全世界に訴え、国連でもその意義は賞賛された。
 単に食べられればいい、というのではなく、すべての人は適切な栄養を取る権利を持ち、政府はそれを保障すべきである。この政策は労働者党政権の政策にも反映され、2012年にアグロエコロジーと有機生産政策としてブラジルの農業政策の一部となった。栄養のある食品は高級品として金持ちだけに提供するものとしてではなく、すべての人がそうした栄養を取るための政策が打ち出された。
 貧しい農業労働者たちを組織して農地改革を実現させるための民衆運動団体、土地なし農村労働者運動(MST)にも新しいミッションが加わっていく。MSTは以前は農業労働者たちの生存の手段としての農地改革を訴えることがそのミッションであったが、ブラジル社会すべてに健全な食を提供することがそのミッションに加えられていく。そして実際に貧しい農民自身がアグロエコロジーの実践によって自らその健全な食を享受していく。その成果が学校などを通じて地域に還元されていく。MSTに属する農民の数は決して小さくないのだが、2億人を超えるブラジルの中ではマイノリティであり、多くの貧しい人びとの食生活の状況が改善されているわけではない。労働者党政権崩壊後はすべては逆戻りを始め、悪化している。でも、学校給食を通じてすべての階層の子どもたちが本当の栄養を得られる機会が生まれたことは大きな歴史的事件だと言えるだろう。

 実際に世界全体で生産される農業生産量は人類に必要なカロリーをすでに超している。食が足りないのではない。食が適切な形で生産されていないことが問題なのだ。問われるべきはその食のあり方であり、量ではない。その食のあり方、質を問わない限り、事態を変えることはできない。

 食を選ぶ余力のある富裕層に対して、より貧しい人たちはその選択の余地が小さい。だからこそ、その人たちに真の栄養が行き渡る政策こそが、特に今は重要になってきていると言えると思う。文化的に、環境的に、まっとうに作られた食は人びとの健康を保つだけでなく、気候変動を抑え、災害の拡大を防ぐ力も持ちうる。

 ただ単に飢えないだけのカロリーではなく、文化的に精神的に生理的に環境的に健康に生きるために適切な栄養を、ふさわしい方法で、すべての人は得る権利がある。その権利を実現する社会こそが民主的な社会であり、めざすべきものなのであり、今、それは緊急課題だ、ということは強調しておきたい。

参考
Brazil Commits to Quality Food for All
2011年の記事。ブラジルの反飢餓対策、栄養政策がもっとも脚光を浴びていた時期でもある。でも命脈尽きたわけではなく、これから本当の花が咲く、貴重な経験だと思う。

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