オルタナティブとは:種子やアグロエコロジー運動をめぐって

 自分の書き込みを振り返って、政府や企業のひどい動きのモグラ叩きばかりになってしまっていることを反省中。そうした動きに目をつぶっていい動きが作れるわけはないのだけど、モグラ叩きを続けているだけでもいい動きは生まれてこない。ひどい動きへの対処療法では根本的な問題は解決できないのだから。

 一方、ブラジルの民衆運動を見てみると、どんなに厳しい状況の中でも根源的な問題に立ち返り、そこから自分たちのめざすもの、将来像を明確にするという作業を怠ることがないように見える。その将来像はオルタナティブと呼ばれるが、カタカナ表記でない日本語にする時にはそれは代案とか訳されたりする。でも代案と訳してしまうと、憲法改正論議であるように相手の土俵に立って議論してしまうようなとても危ない、本質的でない議論にすり替えられてしまう怖れがある。
 相手の土俵の上に乗せられてしまえばもう勝負は見えている。そうではなく、その土俵設定そのものを問い返さなければいけない。たとえば、種子の問題を考えてみよう。登録された種子以外は使用禁止にする制度を多国籍企業や先進国は求めてくる。登録する基準は多国籍企業が作ったものだ。新しく、均質な種子でないと品種として認定されない。登録料は高い。それでは農家が育んできた種子を登録できるように制度を改定すべきだろうか?
 ここでブラジルのアグロエコロジー運動が作った要求はそれとはまったく別のものだった。そもそも農家の種子(クリオーロ種子)は多様性を持つ。均質性を持つ企業の種子とはもとから異なる。そしてそれは地域の文化を体現したものであり、そもそも多国籍企業が開発した工業的規格に当てはめることが困難なものだ。だから、まず、クリオーロ種子の重要性と農家が持つ種子の権利を認知させた上で、工業的基準にクリオーロ種子をあてはめるのではなく、クリオーロ種子を別扱いせよ、さらに工業的規格を当てはめることを禁止せよ、と要求した。
 その要求が認められ2003年にブラジルでは先住民族や農家が代々受け継いできた種子の持つ意義を認めて、その権利を保障する画期的なクリオーロ種子条項が作られた。農家が安心して自分たちの種子を使い続けることができるだけでなく、政府はその権利を守るために、各地域の種子交換会やシードバンクの建設を支援したり、また農家からクリオーロ種子を買い上げ、必要とする農家に販売することでクリオーロ種子の復権に力を発揮している。

 生態系を破壊せず、その力を生かした農業が現在の支配的な工業型農業に比べ、高い生産性と持続性を持つことが科学的にも立証された。アグロエコロジーである。それは農民運動の旗印となっただけでなく、環境運動や女性運動、ホームレス運動など広い社会運動の共通の旗印となってきている。広汎な社会の支援を元に、アグロエコロジーはブラジル政府の政策に採用される。つまり産業界が押しつける土俵に農家が登ってその土俵の論理に服するのではなく、民衆運動側が大きな土俵を作り出し、その土俵と土俵がぶつかりあい、譲歩を引き出し、異なる要素が社会の中に息づき始める。
 もっとも、現在はブラジルではマスコミによる情報操作をきっかけとするクーデタにより、厳しい状況に置かれているが、そう簡単に潰されるものではない。また資本によって買収されてしまうこともまずありえない。なぜなら、それは自身の土俵をしっかりと大衆的基盤の上に築いているからだ。

 相手の土俵に無防備に登ってしまうことが責任ある野党だの、建設的対話だの言われる今の日本の現状はおそろしい。日本政府のやることのおかしさを叩かないわけにもいかないが、やはり根源的な場面に遡り、しっかりともっと大きな絵を描いて、われわれが依拠すべき土俵を描くことにもう少し時間を使いたいところだ。それは可能であり、急務だと思う。

参考:
SEMENTES CRIOULAS: LEGISLAÇÃO (ブラジルのクリオーロ種子条項の成立をめぐる論考)

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