野中広務・辛淑玉『差別と日本人』

野中広務氏はいうまでもなく自民党幹事長を務めた保守政治家。さらに言うならば、90年代後半、相次いだ盗聴法、国旗国歌法など市民社会に対する国家統制を強める反動立法の立役者である。

野中氏が部落差別に苦しみながら政治活動してきたことは最近になって知った。

この本は対談本というよりも辛淑玉氏が野中氏を問いつめる本と言った方がいいと思う。

問いつめると言っても、辛氏は決して野中氏の人格を攻撃しているわけではない。単刀直入に核心をとらえて、野中氏自身、意識的にあるいは無意識的に隠してきた本音に迫っている。

単なる言葉による問い詰めではなく、その辛氏自身が味わってきた苦しみをも隠すことなく、曝すことで、野中氏の心の防御も解かれていく。辛氏の野中氏の分析は冷静さを失わず、驚くほど明瞭だ。徹底的に批判された野中氏はその批判に抵抗を見せない。辛氏の批判が野中氏に対する攻撃ではなく、共に差別に人生を切り刻まれてきた同志的なものであるがゆえだろう。

辛氏の問題の核心に切り込んでいく力は見事なものだと思う。その力によって、「魂に触れる」対話が生まれた。野中氏にとっても、辛氏に徹底的に批判をされた後にもある種の満足があったのは間違いない。たぶん、野中氏にとって辛氏は魂のレベルでもっとも近い人の一人となったはずだから。

21世紀を迎えても差別が再生産される日本。その実態を知識としてではなく、生身をもった人の生き様から知ることには鮮烈なインパクトがある。

しかし、なぜ、野中氏があの反動立法の中軸となってしまったのか? 日本の戦後政治が理念を持たず、自民党内での利害調整に終始した、その自民党で卓越したフィクサーだった野中氏が中枢に上っていってしまったことが野中氏にとっても、日本にとっても不幸であったということであろうか。

なぜ、この対談があと15年前に実現できなかったのか、もし実現できていたら、国旗国歌法も盗聴法も存在していなかったかもしれない。

しかし、それは不可能だった。さらに言うなら、野中氏が本来活躍すべき場は、自民党の中にも社会党や共産党の中にもなかったのかもしれない。

問われるべきは日本の政治文化の貧困である。それを知る上で欠かせない本だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です