Rio+20は何であったか?

日本環境法律家連盟の『環境と正義』(2012 10/11)に寄稿させていただいた。環境と法律の専門家の人たちと人びとをつなぐ貴重な存在として、これまでも『環境と正義』にいろいろ学ばせていただいている。ぜひ購読会員になることをお勧めしたい。購読申し込み

寄稿文章のブログでの公開の許可をいただいたので、その文章をここに掲載する。貴重な機会を与えていただいたことに感謝したい。


 Rio+20では周知のように政府間交渉の公式会議には目に見えた成果はなかった。大きな気候変動と自然破壊への不安が世界的に広がる中、われわれはどこに希望を見いだすことができるだろう? あるいはどんな動きに警戒すべきなのだろうか?
 

偽りの解決策としてのグリーンエコノミー

 政府間交渉が行われた公式会場と世界の民衆運動が集まったピープルズ・サミット会場の間で最も際立った違いは今回のRio+20の看板とも言えるグリーンエコノミーについての応酬だった。オバマ政権の新政策が大恐慌に対するニューディール政策にひっかけてグリーンニューディールと宣伝されて以降、国連環境計画(UNEP)がグリーンエコノミーを提唱し始める。それではこのグリーンエコノミーの中味は何なのか? しかし、その定義は曖昧で、Rio+20の中でも明確に定義されることはなかった。

 ピープルズ・サミットに集まった民衆運動はグリーンエコノミーを資本主義の延命のための偽りの解決策と告発した。国連会議が定義せずともグリーンエコノミーは南の国の民衆にとっては進行しつつある支配の現実である。

 たとえばREDD(森林減少・劣化による排出量削減)とよばれるプログラムを見てみよう。REDDは森林がどれだけ二酸化炭素を回収できるかを元に、森林伐採を減らすことによってその量に見合ったカーボンクレジットを売ることができるようにするものだ。しかし、これには先住民族を初めとする世界の森の民からは強い反対がある。まず、カーボンクレジットを購入した企業はその分の二酸化炭素の排出が免罪され、環境破壊を続けることができる。しかし、そのプロジェクトの対象となった地域では先住民族が先祖代々そうしてきたように森林を生活の糧として使うことは許されない。森林は人びとから隔離されてしまう。そもそもが自然や自然とともに生きる人びとを守るための制度ではなく、汚染を続ける企業に免罪符を与えるための制度なのだ。もし、森林を守るというのであれば先住民族の土地の権利を守ることで、乱開発から森林を守ることが可能である。しかし、現実には逆に土地の権利は侵害される一方で、土地の権利確定のプロセスは遅遅として進まない。

 グリーンの姿を取った新たな植民地化はこの間、南米を蝕んできた。20年前Rio92で告発されたユーカリ植林。パルプなどのために広大な地域に植えられ、森林伐採、水資源の枯渇・汚染、土地からの人びとの追い出しなどによって、まさに人びとの生きる権利を奪い、環境を破壊し続けているのに、あたかも緑の事業のようにみなされて、その破壊の実態が覆い隠されたまま、製紙や林業に関係ない企業までが環境に貢献してます、という宣伝で投資さえして、植林は拡大する一方だ。そして2005年以降、急激に拡大した遺伝子組み換え作物の拡大も同じ動きに入れることができるだろう。アルゼンチンでは全農地の6割近くが家畜の餌やバイオ燃料用の大豆に占拠され、その98%が遺伝子組み換えとなっている。大豆耕作のための森林伐採、先住民族や小農民の追い出しが広大な地域で起きている。危険なモンサントの農薬の大量噴霧は国連人権社会権規約委員会でも審議されるまで大きな問題となり、パラグアイ、ブラジル、ボリビアなどにもそれは広がっている。

モンサントのクーデタ

 Rio+20直前に農地改革を求める農業労働者と警官の間に銃撃戦が起き、一七人が死亡した。その事件の責任を取れと保守派が大部分を占める議会によって、パラグアイ史上初めて小農民の側に立つ大統領として当選したルゴ大統領が弾劾され、失墜するという事件が起きた。この事態を南米の民衆運動はモンサントのクーデタと呼んだ。パラグアイでは遺伝子組み換えは密輸品として送り込まれた大豆によって無理矢理合法化された。合法化されて以降、モンサントは次々に事業を拡大、承認をしぶるルゴ政権に圧力を加え続けていた。そしてクーデタ後、遺伝子組み換えBt木綿など相次いで承認されている。モンサントの利益は拡大する、自然環境、小農民、先住民族の犠牲の上に。

 アマゾンを守る憲法となってきたブラジルの森林法も大土地所有者・アグリビジネスの圧力で今年改悪された。憲法で認められた先住民族の土地の権利を奪う法案までも現在国会で審議が進められようとしている。なりふり構わぬ資本の開発の対象として、アマゾンが狙われ、この方向が変えることができなければアマゾン森林は近い将来消失するであろう。

 南の生物多様性は製薬企業や遺伝子組み換え多国籍企業の収奪の対象となってきた。南の薬草を北の製薬企業が勝手に特許を取り、その使用を独占するバイオパイラシーも南の各地で行われるようになってきた。多国籍企業により自然(生物多様性)の商品化が進められているのにその自然を活用してきた肝心な現地の人びとの権利は無視されるケースが増えてきている。生命に対して特許を認める、しかし企業はその生命を発明したわけではなく、その生命は長く民衆のコミュニティを支える共有財産であった。その共有財産を法的に力を持つ企業が一方的排他的な知的所有権を持つとする体制ができることで、世界の生命に対する企業による支配が可能になった。そしてTPPなどを通じてその知的所有権の確保を各国に義務づけようとしている。

 こうした状況の中でグリーンエコノミーは環境と経済を両立させるものとしてではなく、自然をすべて商品化しようとする貪欲な資本主義による偽りの解決策としてしか受け取られる余地がなくなっていた。破壊を進める企業の規制なくして環境を守ることは不可能であるにも関わらず、そうした規制には一切口を挟まず、その逆に規制緩和一方というのが諸政府の姿勢なのだ。

 ブラジルを初めとする南米の民衆運動が多く集ったピープルズ・サミットが開催されたフラメンゴ公園ではこのグリーンエコノミーを告発する多くの人びとで埋まった。とりわけ先住民族や小農民の運動ではその主張ははっきりしていた。自然と彼らの生存を追い詰めるエコサイドが行われている現実を考えればそれは当然の反応といえるだろう。

語られない現実

 しかし、南米から目を日本に移すとき、そこに巨大な認識のギャップがあることを感じざるをえない。パラグアイでの政変をモンサントのクーデタとして報道したマスコミは日本には一つもない。ユーカリなどのモノカルチャーによる生態系破壊も報道されない。そして、多くの市民運動団体までがグリーンエコノミーの確立を求めている。いかにグリーンエコノミーを多国籍企業の思い描くものとは異なるものとして定義したとしても、ここまで南で拒絶されている言葉を使って、どんな展望を描くことが可能だろうか。彼らは世界の民衆運動とどう連帯していこうというのだろうか?

 生物に対して排他的な知的所有権を主張する多国籍企業に対して、自然の権利、そしてそれを共有の財産として享受する人びとの権利を確保することがなければ、どのような改革も地球の環境を救うことはできないだろう。国境を越えて、命とそうした共有財産を守る連合が作られる必要がある。Rio+20はそのきっかけになったろうか?

 なったと信じたい。そして、そうした命を守る連合に向けて、これからも活動していきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です